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Vol.096 / 介護をする側、される側
「人生五十年…」という謡い出しで有名なのは織田信長の好んだ幸若舞の『敦盛』ですが、当時の日本人の平均寿命は30歳に届きませんでした。15歳未満で亡くなる子どもが多かったせいもありますが、このような謡があることを思えば、成人を迎えた多くの人は、50歳前後で寿命を迎えることが多かったのでしょう。
医療が発達し、日本人の平均寿命はここ数十年ほどで飛躍的に伸びました。現代では50歳といえばまだまだ働き盛り。定年退職の年齢は60歳から65歳へと引き上げられようとしています。いつまでも健康で自立した生活が送れているなら良いのですが、なかなかそうはいきません。平均寿命が延びるに従って発生したのは、介護の問題です。

かつて介護といえば、自宅で子や孫が老親の面倒を見るのが普通でした。そのころは寿命も短く、介護の年数もわずかだったに違いありません。また、子や孫の年齢も若く、体力もあったことでしょう。
ところが現代では、元気なシニアが増えると同時に介護年齢も上がってきました。介護が必要になる年齢は70〜80歳代以上。介護をする側の子の年齢は40〜70代にも及びます。

40〜50代といえば、孫は中学〜大学生と一番難しく費用もかかる年代。仕事に子育てに介護にと忙しく、また自身の体力の衰えも感じ始めてくる年頃ですね。60歳を過ぎた子が自分の親を介護するのは「老老介護」と言われます。そろそろ自分が介護される側に回るかもしれない年代が介護をする負担は、体力的にも精神的にも計り知れないものがあります。場合によっては、子の方が先に介護が必要になるかもしれません。

「介護」と一口に言っても、その形はさまざまです。大まかに分けても、身体の不自由さを介護する「身体介護」と家事など生活のさまざまな面をサポートする「生活援助」、認知症の方の介護をする「認知症介護」があります。その中でもそれぞれの症状に合わせて介護の形は変わってきます。
介護される方は、これまで多くの人生経験を積み重ねてきた立派な方です。現在どのような状態になっていても、人としての尊厳は守られなければなりません。今は元気で若い人であっても、いずれは自分も介護される側に回ることを心得、もし自分が介護されるならどのようにしてほしいかを意識しながら、介護することが望ましいでしょう。

とはいえ、介護が必要な方がいる場合、介護する側にも大きな負担がかかります。子育てと違い介護は先が見えません。子育てなら、苦しいのはほんの数年で、子どもが成長すればその苦しみはなくなってきますが、介護は悪くなることはあってもよくなることは少なく、この先何年必要なのかという見通しもききません。そのため「なぜ自分だけがこのような苦しみを味わうのか」という思いに駆られ、そのような気持ちを抱く自分に嫌悪感を感じ、それが苛立ちになって、介護うつになったり、高齢者虐待につながったりしてしまうこともあります。

自宅で家族を介護する場合、ひとりでは絶対に不可能です。介護が必要な方がいれば、家族全員で何らかの役割を分担しましょう。例えば、直接介護することができなくても、情報の提供や連絡、経済的支援、介護者の話し相手、送迎などさまざまな役割があります。一緒に済んでいない家族も、このような役割を少しずつ負担することで、介護者を追い詰めないようにしたいものです。
また、完璧な介護をめざさないことも大切です。家族は介護のプロではありません。できることをできる範囲で行えばいい、という気持ちが、介護の負担を減らします。

介護者も、心身ともに疲れています。介護される人の元気なときを知っているからこそ、つらい思いもひとしおでしょう。思い通りにならない介護に、苛立ちもするでしょう。だからこそ、介護者には楽しみを持つことが必要です。おしゃれを楽しんだり、音楽を聴いたり、趣味に費やす時間を持つことで、心に余裕が生まれ、より良い介護ができるようにもなります。
介護の苦しみを分かち合うため、介護者の会に参加するのもオススメです。介護の本音や愚痴などを言い合えば、心のわだかまりも少しは消えるでしょう。介護者の会では、介護のやり方、役立つサービスなどさまざまな情報交換もできます。

介護者の心と体の負担をできるだけ軽減することが、結果的に介護される人の尊厳を守り、よりよい介護につながっていくのだと思います。
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